2013年10月22日火曜日

カタカナ・プロジェクト 感想

                私(わたし)はカタカナ(かたかな)のプロジェクト(ぷろじぇくと)を接触前(せっしょくまえ)に、カタカナ(かたかな)の用法(ようほう)ただ二(ふた)つ知(し)っています。外語(がいご)を書(か)くとき、カタカナ(かたかな)を使(つか)っています、例(たと)えば、テレビ(てれび)、ケ(け)ーキ(き)。それから、オノマトペ(おのまとぺ)を書(か)くとき、カタカナ(かたかな)も使(つか)っています、例(たと)えば、トキドキ(ときどき)、ゴト(ごと)。


                カタカナ(かたかな)は本当(ほんとう)にたくさんの場所(ばしょ)で使(つか)います。科学用語(かがくようご)や広告(こうこく)と標語(ひょうご)やポスタ(ぽすた)ーといろいろの物(もの)もカタカナ(かたかな)を使(つか)って。カタカナ(かたかな)を如何使用(どうしよう)はほとんどは使用者(しようしゃ)の気持(きも)ちを頼(たの)んでいます。例(たと)えば、オトナ(おとな)のチョコレ(ちょこれ)ート(と)、“オトナ(おとな)”と“チョコレ(ちょこれ)ート(と)”はカタカナ(かたかな)です、でも中間(ちゅうかん)の“の”は平仮名(ひらがな)です。

                片仮名(かたかな)、平仮名(ひらがな)と漢字(かんじ)どちが使(つか)っては実(じつ)は特定(とくてい)のル(る)ール(る)はありません、でも昔(むかし)はそのようじゃありません。昔(むかし)はただ男(おとこ)だけは漢字(かんじ)を使用(しよう)できます、女(おんな)の子(こ)はただ平仮名(ひらがな)を使(つか)ってできます。

                片仮名(かたかな)と平仮名(ひらがな)の起源(きげん)は漢字(かんじ)です。もし二(ふた)つの歴史(れきし)は読(よ)まない、多分発見(たぶんはっけん)できません。でも本当(ほんとう)に面白(おもしろ)いです。

                カタカナ(かたかな)のプロジェクト(ぷろじぇくと)をする後(ご)、私(わたし)はたくさんの知識(ちしき)を知(し)っています。次(つぎ)カタカナ(かたかな)を使用時(しようとき)、もっと発揮空間(はっきくうかん)をあげいます。

                文字(もんじ)は本当(ほんとう)に面白(おもしろ)いです。


2013年10月15日火曜日

尾崎豊の卒業  とても矛盾するな歌詞

尾崎豊(おざきゆたか)の卒業(そつぎょう) 感想(かんそう)

私(わたし)は尾崎豊(おざきゆたか)さんの卒業(そつぎょう)は実数(じっすう)を当時(とうじ)の学校生活(がっこうせいかつ)を反映(はんえい)していると思(おも)います。尾崎豊(おざきゆたか)の卒業(そつぎょう)を読(よ)んで時(とき)、私(わたし)は当時(とうじ)の生活(せいかつ)が想像(そうぞう)をできます。あの頃(ころ)の学生多分(がくせいたぶん)とてもストレス(すとれす)です。毎日同(まいにちおな)じ仕事(しごと)をやています、チャイム(ちゃいむ)が鳴(な)り、全部(ぜんぶ)の学生(がくせい)はきっと同(おな)じ席(せき)に座(すわ)ります。でもただ座(すわ)りだけ、何(なに)を勉強(べんきょう)した、何(なに)を聞(き)いたも知(し)らない、自分(じぶん)は如何(どう)してここにいるも知(し)らない。時々(ときどき)、今(いま)は本当(ほんとう)のが、幻覚(げんかく)のがもわかりません。

遊(あそ)びの時間(じかん)も足(た)りない、いいえ、多分(たぶん)いないと思(おも)います。宿題(しゅくだい)を重(おも)い過(す)ぎ、先生(せんせい)は厳(きび)し過(す)ぎ、だから放課後(ほうかご)、一人(ひとり)で歩(ある)いて、友達全部(ともだちぜんぶ)も家(いえ)に戻(もど)ります。もし刺激(しげき)があります、心(こころ)の波(なみ)はきっととても強(つよ)いをなります。だから校舎(こうしゃ)を壊(こわ)して、行儀(ぎょうぎ)を捨(す)てて、必要(ひつよう)ない、意味(いみ)ないの物(もの)は捨(す)ててはいい。

あの時(とき)の学生(がくせい)は力(ちから)を必要(ひつよう)を信(しん)じます。もし先生(せんせい)は自分の言葉(ことば)を信(しん)じらない、戦(たたか)いではいい、勝(か)ったではいい、誰(だれ)が傷(きず)つけもかまわない、最後(さいご)まで負(ま)けらない、自由(じゆう)はきっと自分(じぶん)の物(もの)がなります。でも、勝(か)ったとき本当(ほんとう)に自由(じゆう)を持(も)ったか、尾崎豊(おざきゆたか)その判決(はんけつ)を疑(うたが)うです。

尾崎豊(おざきゆたか)の卒業(そつぎょう)、矛盾(むじゅん)がたくさんあります。あの頃(ころ)の学生(がくせい)は一方卒業(いっぽうそつぎょう)が欲(ほ)しい、一方卒業後何(いっぽうそつぎょうあとなに)ができますか、迷(まよ)っています。道(みち)は知(し)らずに、ただ周(まわ)りの人(ひと)が従(したが)いで。それは、あの時(とき)の学生(がくせい)の考(かんが)えたと思(おも)います。


これは私の感想です。